想い出に残る場面や想い出に残る場所は、胸に秘めておくべきだ

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一生残るような良い想い出の地は、自分の胸に秘めておきべきだ。しかし懐かしさにつられ、その想い出の場所に行って見るとほとんどが幻滅してしまう。これは不思議なもので、2度目に訪れた時には様相がスッカリ変わってして、昔の面影がなくっているからだ。その典型的な例が福井県の東尋坊だ。東尋坊は中学生の頃だと思うが、光文社(カッパ・ノベル)の「ゼロの焦点」を購入して読み漁ったと時だと思う。東尋坊が登場する。日本にもこんな絶景があるのかと思った。当時の著者は三度の飯より本が好きだった、実際お袋が「ご飯」と呼びに来てもなかなか本を閉じることができなかった。ある程度読み終えてから飯を食いに行くと、飯はすっかり冷え切っている。お袋は文句も云わずに温めてくれた。その母もすでに他界し、今は母の優しさが蘇ってくるだけ。話を東尋坊に戻すが、「ゼロの焦点」では新婚7日目で失踪し、夫が死体で発見された場所が東尋坊だった。東尋坊って初めて聞いた時は全然想像がつかなった。ただ北陸の日本海にあって、日本でも有数の海食崖で、絶壁・断崖を織り成し、侵食され険しい岸壁で構成されと「ゼロの焦点」から想像できた。

 北陸まで行くにはそれなりの踏ん切りと時間がかかった。

社会に出て広告代理店に勤めた頃だった。東京から北陸まで行くのにはまだ難儀で、飛行機は飛んでいたがまだ一般的ではなかった。もちろん新幹線はまだ走っていない。北陸は孤島のようない感じていた。だが車好きが昂じて、社会に出て初めての給料で車を購入していたのだ。その時、「ゼロの焦点」で読んだ東尋坊が蘇ってきた。そう思いつくと車でドライブがてら北陸に行く気になった。北陸まで行ったが、どのように北陸まで行ったのかルートは全然思い出せない。取り敢えず最初に行ったのは永平寺で、能登や輪島の朝市を見て、御陣乗太鼓に見る機会に恵まれた。この御陣乗太鼓は名前は以前から知っていたが、どのような太鼓なのか知らなかった。トントントンの音ではドコドコドコと太鼓の音が腹に響くような迫力とリズミカルななリズムそして奇抜な衣装が印象にの残った。それ以来スッカリ御陣乗太鼓のファンになってしまった。確か輪島に1泊したと思うが、輪島はイベントがあったのか賑わっていた。

 東尋坊は「ゼロの焦点」のように迫力満点だった

翌日、輪島から東尋坊に向かった、同行者を誘いもせず一人旅だ。道中は少々飽きてきたので大きな声で歌を唄ったり、休憩をとったりして東尋坊にどうやら辿り着いた。東尋坊は静寂に包まれ波の音だけが聞こえてくる。「ゼロの焦点」に登場する断崖絶壁で迫力満点。垂直に抉られて高い所では約25mくらいもありそうで、崖から足を踏みはずしたなら、二度と生還されないと想像できた。高所恐怖症の著者は先端にも行けなくビビ利、観光客らしい人も疎らで、ただただ恐怖に慄いた。東尋坊は風光明媚で近いうちに福井県を代表する名所になると思えた。

 東尋坊には行くべきではなかった後悔した後の祭り

東尋坊に行ってから10年も経った頃、たまたま数名で北陸に行く機会があった。今度は金沢を中心で福井県は予定には入ってなかった。金沢は意外と好きな街で、片町や香林坊には夕食を取ったり馴染みの街だった。でも知らない店に初めて入る時はいつも「一人いくらでやってくれるの?」と最初に料金を決めるようにしている。でなければいくら取られるのか不安になるものだ。金沢の片町で呑んでいる時に友人の一人が云った「東尋坊に行ったことがないので行こうぜ」と云い出した。それに同調する輩も出て、東尋坊に行くことなった。車は3台で10名のグループ。東尋坊はどのようななったのか観てみたい気持ちになった。しかし冒頭に述べたが、東尋坊には行くべきではなかった。着いたなら夥し数の観光客で、警備員が縄を張って、交通整理のように笛を吹き、人の流れを制御していた。肝心の東尋坊の景観を見られる所までは結構時間がかかった。また土産店・食堂や露天商も建ち並び、10年前とは大きく様変わりしていた。来るのではなかったと後悔しても後の祭りだ。

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