YOSAKOIソーラン祭りも今や全国的なイベントに

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 YOSAKOIソーラン祭りの発想は母の見舞いだった。

長谷川岳氏が(現・参議院議員)が、当時北海道大学2年の時に、母親を見舞いに高知県の病院を訪れた。その時に、高知市の「よさこい祭り」に接し、感動した。「こうした祭りを北海道でも見られたら…」と、平成3年(1991年)に、学生仲間を募り5名で「YOSAKOIソーラン祭り実行委員会」を発足。そして高知県の「よさこい祭り」と北海道の「ソーラン節」を融合させた「YOSAKOIソーラン祭り」として企画・立案し誕生させた。 北海道では「さっぽろ雪まつり」以外に全国的に知られるイベントがなかった。夏にも道外からの観光客を呼び込める大きなイベントや祭りが少なかった。しかも本州以南では梅雨入りに入り、避暑を求め北海道に来る人々が多かった。そんな条件で6月上旬にイベントを開催することにより、さらに観光客を呼び込み、観光収入の増加による経済効果が考えるイベントを模索した。

 学生が中心となって北海道を代表するイベントには驚く。

そして平成4年(1992年)6月に「街は舞台だ!日本は変わる」を合言葉に、実行委員会も道内16大学と150名で、第1回YOSAKOIソーラン祭りを開催。当初は参加10チーム、参加者1,000人、3会場という規模も小さかった。しかし回を重ね、飛び入り参加型ステージのワオドリスクエアおよび大通公園のパレード広場行われた。その後年々、参加者が増え続け4万人を超え年もあり、観客も200万人を超え「YOSAKOIソーラン祭り」の規模も成長拡大していった。平成12年(2000年)の開催期間中に、大通公園内の臨時ゴミ箱から爆発物が爆発し数名の負傷者を出す事件が発生し、これを機に警備が強化された。事件発生により第9回YOSAKOIソーラン祭りのファイナルコンテストが中止になった。 一部参加者や観客のマナーの悪さ、大通公園をはじめとした札幌市内の交通規制、騒音などに対する札幌市民の苦情も少なからず存在した。

 そもそも「YOSAKOIソーラン祭り」ネーミングが間違いだった。

北海道の「YOSAKOIソーラン祭り」が全国的に知られ、各地で「よさこい」の名がついた「YOSAKOIソーラン祭り」がブームのように始まった。高知市でも鳴子踊りが主流だった「よさこい祭り」のスタイルを「YOSAKOIソーラン祭り」風に変えた。もともと徳島の「阿波踊り」に対抗して、昭和29年(1954年)によさこい祭り」が始まった。「よさこい節」は慶長年間に山内一豊が、高知城を築いた時、作事場で歌われた木遣り唄の「ヨイショコイ」という掛け声が、「よさこい」になった説もある。いずれにしても「よさこい節」の歴史は古いが「よさこい祭り」は戦後に生まれた。しかし「YOSAKOIソーラン祭り」は全国に広がる連れて、「よさこい○○○」はドンドン増えるが、「ソーラン○○○」はどこに存在しなく、高知の「よさこい祭り」が元祖のように思われた。著者も数年前に高知市を訪れ、「よさこい祭り」を見物したが、その時に乗ったタクシーの運転手に何気なく訊いた。このような「よさこい祭り」のスタイルはいつ頃から始まったのかと、「これは北海道のパクリだよ」と運転手は笑いながら云った。やはり高知でも知っている人はいるのだと痛感した。200万都市の札幌に互角以上
戦っている34万の人口の高知市に賛辞を送りたい。

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